道すがら

 Essay by fumi

 1908年は、アメリカ国民にとって画期的な年でした。フォード社からT型と呼ばれるフツウの国民が自家用車として購入できる車が発売されたからです。記録によると20年間ほどの発売期間の間に1500万台以上売り上げたそうです。1966年に日本で売り出されたカローラは来年で60歳です。この間に世界で最も売れ、累計販売5000万台を突破した車になりました。時代も違いますし、販売エリアもアメリカ一国なのか世界全体なのかでも相違がありますが、どちらもアメリカのそして日本と世界のモータリゼーションを象徴する車だと言えそうです。

 このような次第で、私たちは自動車の時代、モータリゼーションを享受してきました。私たちの移動能力は一日あたり、頑張っても数十キロメートルです。車での旅は高速道路を使えば、千キロメートルに到達することも不可能ではありません。

 もちろん、ただ遠くに行くというだけでしたら、鉄道や飛行機を使ったほうが楽だし、さらに遠くの目的地を目指せます。でも、私は車に乗って出かけたい。

 それは道すがらを楽しみたいからです。カタカナを使えば、旅のプロセスこそが旅する目的だからです。もちろん、目的地に着いて仕事をしたり、そこから観光を楽しんだりすることもあるでしょう。しかし、それは旅先での仕事や観光だとも言えるでしょう。

 自分の思うスピードで思う通りの旅程で気に入った景色に出会えば車を停め、少し疲れたなと思えば道の駅などで身体を休め、気が変われば目的地も変更する。自分の気ままさを何十倍にも拡張する装置が楽しくないはずはないでしょう。

 ところで、今の自動車は大きな転換点にいるのだと話題になっています。ひとつは動力源がレシプロエンジンから電気モーターへ転換していることが環境問題も含めて、甲論乙駁の議論にもなっています。

 ここで興味をもって取り上げたいのは、言うまでもなくもう一つの話題、自動運転です。何らかのプログラムを使って車に指示をすれば、あとはハンドルから手を放しても、極端な場合は眠ってさえいても目的地に連れて行ってくれる。これが自動運転の最終到達点だそうです。つまり車に乗っているのではなく、乗せられて旅をすることを目指しているというのです。これでは私にとっての自動車の旅の魅力がほとんど失われてしまいます。

 自動車と道路は、何も道すがらを楽しむという趣味や道楽のために作られたわけではないのでしょうし、自動運転に対する切実なニーズもあります。しかし、狭い意味での「必要」だけによって、とても自動車の多様性とある種の無駄や贅沢を、そして何よりも爆発的なモータリゼーションを説明できないでしょう。

 目的を達成することは大切だと思います。いっぽうでプロセスを大事にすることも忘れたくないものです。

投稿者プロフィール

浅沼志帆

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