川の流れ、渚の波
Essay by fumi
流れてゆくものというとまず連想するのは川の流れでしょうか。五月雨を集めて流れる最上川も含めて、川の流れはもとを正せば雨滴です。山腹の葉や花に落ちた雨粒が、柔らかな苔に沁みながら、せせらぎに注ぎ込み、渓流となります。地形によっては激しく岩を砕く滝の流れになることもあるでしょう。地面から見えなくなる伏流水となり、下った先で湧き水として、また地表の流れに合流することもあるでしょう。湖沼や池となって滞留する場所もできます。
いくつもの小川を支流と呼ぶとすれば、本流があるわけです。つまり、川という線が面として広がる水系になります。様々な場所で支流と支流が合流し、やがて本流と呼ばれる大河になって海に注ぎ込みます。
海では巨大な海流が地球を巡っています。日本のそばの海流は、「黒潮(日本海流)」や「親潮(千島海流)」と呼ばれて来ました。海流はメキシコ湾流のように高緯度の地域を温かくしたり、帆を張って航海した時代には、風とともに重要な移動の手段でした。しかし、都市で働き、たまに海を観ながらボーッとするだけの私たちは沖合から向かって来ては退いてゆく波の戯れを見るばかりです。
セーヌ川にかかるミラボー橋に佇むアポリネールは流れの去来を、波打ち際で貝殻を拾って遊ぶニュートンは寄せては返す波の反復を見ています。
しかし、そのような対照的な去来や反復は、近くから目に見える水の運動に過ぎません。水は見えない気体、水蒸気となって空に昇り、すでに述べたように雨滴となって大地に降り注ぎ、再び川に集められ、流れてゆきます。地球的な規模の水の循環がこの星に命を与えています。
局所から見れば、水は川の流れになっていますし、渚では波の戯れです。しかし、大地と天という大きな舞台で水は流転しています。私たちも姿を変えて巡り巡って、出会い、別れ、また再会しているのかも知れません。

多摩川
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