どこまで行っても
essay by fumi
子どもの頃、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」を観ていました。その多彩な登場人物のひとり、ドン・ガバチョが歌を歌います。それは「ドン・ガバチョの未来を信ずる歌1」です。その歌は「どこまで行っても明日がある ホイ」で終わります。朝目覚めると今日になっている、明日だと思っていたのは今日で、明日はやはりまだ到来していない明日としてある。明日は永遠に明日にあります。
時間を表す明日は、空間を考えるときには地平線や水平線に相当するでしょう。これも子どもの頃のことですが、テレビ放送で使われた「エイトマン2」のオープニングテーマの「光る海 光る大空 光る大地 ゆこう 無限の 地平線」に「地平線」が出てきます。ちなみに「無限」という言葉もそのころ覚えました。
ある特定の時間を意味する「明日」や場所を指す「地平線」は、確かにその時が訪れますし、その場所に辿り着くこともできます。しかし、その時になっても、その場所に到着しても、「明日」や「地平線」はありません。「明日」や「地平線」は、その時やそこにはなくて、その先にありますし、それはずっとそのまま繰り返されます。「どこまで行っても、まだその先がある」と。「エイトマンの歌」にあるように、「明日」や「地平線」は無限を含みこんでいる言葉だと言えるでしょう。
そうやって、私たちは時間と空間を無限に広がっているものだと考えています。そのような私やあなた、そして彼、彼女がいます。私たちに与えられた時間、つまり人生など高々数十年です。私たちが移動する速度は光速と比べたらほとんどゼロです。私たちは生物としては有限の時間と空間に閉じ込められているのに、その精神は無限を前提にしています。
無限に広がる精神の持ち主との対話を考えましょう。私たちはめいめいが「その先」をあれこれと思っています。それは無限の可能性です。しかし、一方で物理的には有限であるという脆さを感じています。つまり、私たちには「脆い可能性」があると言えるでしょう。
だからこそ私たちは集い、語り合うのでしょう。

みなとみらいから海を見る
2.「エイトマン」オープニング (EightMan/8man Openning)
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