声の流れ
essay by fumi
離れたところにいる人とどうやってコミュニケーションをとれば良いのでしょう。大昔使われていたのは狼煙(のろし)でした。中国語の「狼の煙」の由来は狼の糞を燃やしたかららしいのですが、古代中国では、狼の糞があちこちに落ちていたのでしょうか。出来立ての糞は燃えにくいので、乾燥を兼ねて貯蔵していたのかなどと、ちょっと不思議な光景を想像してしまいます。
現在、電気・電子機器を使わない遠隔のコミュニケーションには、船舶間通信用の国際信号旗が活躍しています。船の間で探照灯を用いたモールス信号を使うこともありますが、モールス信号はより広範に電信機器を通して使用されてきました。それはさておき、ここ20年ほどで遠隔地とのコミュニケーションは従来の郵便よりもインターネットにおける電子メールが主流になりました。その原型は1960年代にまで遡るようです。半世紀を経て、すっかり現代のメール、すなわち郵便になっています。
コミュニケーションの根源には「声」があるでしょう。陸上での生活を獲得した脊椎動物、そして節足動物は豊かな声を手に入れました。しかし、彼らの声は、「叫び」や「鳴き」「歌」などと形容されることもあるので、人間の「声」とは少し異なっているようです。
私たちが冬の朝、人と会って声を交わす場面があります。「寒いねと話しかければ、寒いねと答える人」がいます。声帯を経て口から声が「話される」、「放される」と、相手は耳で捉えて、「ききます」。どうして「聞いている」、「効いている」のが分かるのかというと、返事をしてくれるからです。
ところで、日本語では身体と外界とに同じ音を持った言葉が使われることがあります。たとえば、「腹」と「原」、「背」と「瀬」です。他にも「目」と「芽」、「歯」と「葉」、「鼻」と「花」など。これは偶然の一致ではなく、わたしたちのご先祖が世界と身体とを相似として解釈してきたからです。ジョン・オニールはこうも述べています。「初期の人類は、宇宙と社会を考える手段として、彼らの身体以外になにももたなかった」。
私たちの声が身体において内的対話として巡り、外界に出て他者との対話(外的対話)を通してまた還ってくる。身体と外界が相似形であるのなら、そのような往還はまことに自然なことでしょう。
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